ココモ・オレンジ


「酔ってるのに、あんなに動き回るから悪いんだよ」

 そう呆れた声を出して、彼女が肩に担いでいた僕を布団の上におろした。

「普通は逆なんじゃないかなぁ。こういうのって酔い潰れた女の子を男の子が一生懸命看病するって、そんな感じがするんだけど」

 彼女――沙耶は僕の恋人だ。こうやって僕を布団の上におろせるという事は、つまり僕と彼女は同棲している、そういうこと。

「なんだか、毎回こんな事やってる気がするよ……そりゃあ、私が酔い潰れる事もあるけどさ」

 そんなことを言う彼女だが、正直そっちの方がたちが悪い場合が多い。
 僕の場合、こうなったらだいたい黙ってうつ伏せになってるだけなのだが、彼女は基本的に絡みのタイプだ。
 例えば、「大丈夫、大丈夫だから〜」と全然大丈夫じゃない足取りで家に向かい、入った途端に玄関で眠りこけてたり、「どうせどうせ、私なんて……」なんて言いながら自分のスタイルの悪さを女友達に愚痴っていたり。
 そんな事やらかすたびに、もう飲みすぎたりしない、とか誓うんだが往々にして誓ったその次の次辺りで決壊してしまう。だから、たちが悪いのは僕じゃなくて基本的に彼女の方なんだ。

「こんな事をずっと前からやってるけどさ……」

 それに僕は本当は酔い潰れているわけじゃない。単にちょっと意地悪なだけなんだ。
 彼女は僕がこうやってうつ伏せに寝ていたりすると、もう眠っているとかそんな風に勘違いしている節がある。

「私は、こういうことやってるの結構好きなんだよね」

 だから、明日には忘れているだろうと思って、普段は絶対言わないような台詞を少し恥ずかしげに話しかけてくるのだ。

「もう何年位かな…付き合いだして」

 そう、僕たちの付き合いはだいぶ長い、中学生の頃からだからもう十年近くは経っている。

「こういうのって、付き合いが長いと段々ウンザリして色々イヤになってくってよく聞くけど、私はそういう風にはならないんだよね。……そうならないって、やっぱり私たちの相性がいいって事なのかな?」

 うわーっ、と声を上げそうになって必死にこらえる。
 いつも恥ずかしい事言っているが、今日は一段と調子がいいようだ。

「これだけ長い期間続くのも、もちろん私たちの相性がいいからで…」

 またまた声を上げそうになる。
 何というか今日は本当に凄い。
 いつも以上に饒舌にノロケを聞かせてくれる。僕に対して言うのをノロケというのかは分からないけど。


 だから止められない。
 酔い潰れた振りをしていれば、言っている自分が恥ずかしくないのか? と疑問に思えてしまえるような言葉を数々を僕に浴びせてくる。
 それ聞いているのは少し恥ずかしいながらもやはり楽しいものがあるし、どこか安心できるものがある。

「これからも、こんな事が続けばいいな……」

 その言葉を聞いて頭の中が少し真っ白になった。
 ああ、なんというか今日は本当にもうっ!
 僕は、彼女がふと背を向けた瞬間に、後ろからその背中を抱きしめた。

「わわわっ!」

 驚いて素っ頓狂な声を出す。

「ななななんで、起きてるの!?」
「そりゃあ、さっきまでずっと起きていたからね」
「えええええええええええ!!! 嘘っ! 嘘だよね!?」

 首だけを後ろに向けて僕を見つめる彼女に、口の端を少し上げて「本当」と告げた。
 その言葉を聞いて、彼女は首を正面に戻し視線を逸らした。

「恥ずかしいよ〜」
「大丈夫、前々から話は聞いていたから」

 それを大丈夫というか分からないがそう答える。
 すると彼女は、

「ええええええええええ!!」

 と一度戻した首を再び僕の方に向けそう言った。色々と忙しい人だ。

「酔ってるよね? 酔ってるからそんな出まかせ言えるんだよね?」
「酔ってなんかいない。じゃあ、前の事を言ってみようか? 前の飲みではこんな事言ってたな、実家の自分の部屋の引き出しには……」
「わわわわわわわわわわわわわ!」

 とっさに僕の口を塞ごうと手を出してくる。
 でも、後ろから抱きしめているから彼女の手は僕の口元には届かない。ただ、目の前にあわただしく動いて見えるだけだ。

「酔ってるよね? 明日になったら綺麗さっぱり忘れちゃうんだよね?」
「だから、酔ってないってば」
「そうやってむきになるところが酔ってると思うんだけど」
「酔ってないし、明日になっても忘れない。むしろこの記憶は大事に墓まで持っていく事にするよ」
「ひーん」

 そんなやりとりの後、しばしの間沈黙が流れる。
 聴覚から取り込まれる情報がなくなると、自然と他の感覚に意識がいってしまう。
 彼女がいつも飲んでいるお酒の匂いと、いつも使っている柑橘系のシャンプーの匂いが混じった、甘ったるい香りが鼻孔を刺激してきた。
 その匂いは僕の体をふにゃふにゃに溶かしていくような感覚をおぼえさせる。


 匂いに気を奪われていたからだろう。
 彼女のお腹の辺りに回していた腕に、そっと手を添えられた時、少しだけビクッとなってしまった。
 そんな仕草に気付かずに、彼女はそっと言葉を紡ぎ出した。

「やっぱり……」

 そこで一度言葉を溜める。
 腕には、さっきより強い力が加わってくる。

「やっぱり…覚えていてもいいよ。じゃなくて、ちゃんと墓まで持っていってもらうから。私、同じ墓に入って見守るから、大事にしているかどうか」

 その瞬間、頭がくらっとした。
 彼女は真っ赤な顔を隠すように再び正面を向いた。
 そんなことしても、耳まで真っ赤になっているんだから隠しようがないと思う。
 でも、そんな彼女を可愛いとか思ってしまうわけで。


 ああ、ひょっとしたら僕は酔っているのかもしれない。
 何に酔っているかだって?
 そんな事は恥ずかしくて、とても僕の口からは言えないのだけれど。