アートフラワーの城


 美しいものを一つ、教えて欲しいな。

 私が華絵ちゃんにその台詞を言ったのは、確か私も華絵ちゃんも高校生の頃だった。所謂幼馴染だった私たちは、一緒の幼稚園、一緒の小学校、一緒の中学校と、同じ道を歩んでいって、高校も同じ学校に通っていた。私たちは、光と影のように同じ道を歩んでいた。私が影で、華絵ちゃんが光。
 目立たない女の子だった私と対照的に、華絵ちゃんは人気者で男女を問わず、いつも誰かが傍に居た。まさしく華やかな彼女の、美しいと思えるものが聞きたくて、私はそんな言葉を言ってみたのだと思う。
 華絵ちゃんは私が予想したような答えを、淀みもなく言ってくれた。みんなが、こうやって皆と一緒に遊んでいる今こそが、美しいものなんじゃないかな。
 私は華絵ちゃんの、完成された答えに、その時眩暈を覚えたのを記憶している。ああ、やっぱりあなたは完璧な人なのね。声には出さず、心の中で呟いた言葉。聞こえてしまえば、それだけで彼女の価値を落としそうだったから。
 そんな華絵ちゃんは、例えどんなに色んな人に囲まれても、最後には私の元に戻ってきてくれた。私に友達が居ないのを察してくれてたのかもしれないし、私でない彼女自身の影が、他の人との関わりに制限をつけていたのかもしれない。人が集まれば悪意も寄ってくる。実に私らしい持論だったけれど、それは間違っていないように思う。


 私の趣味は造花だった。とはいっても、造花を取り寄せて、ネックレスなんかにしたり、花瓶に飾ったりして、アレンジするだけだ。自分で造りたいという願望の無いわけでは無かったが、趣味が始まった中学生の頃には、夢想するだけだったし、今となってもそれは実現していない。憧れだけは胸に秘めているけれど。
 私の趣味が始まった頃、華絵ちゃんはよく私の家に遊びに来てくれた。普通に生活するには、造花というのは珍しい趣味とも言えたし、華絵ちゃんもそんな珍しい趣味に興味があったのかもしれない。

「すごいね、きれい」

 初めて造花を取り入れた日に、華絵ちゃんが漏らした感想だった。もっと作り物めいたものを想像していたのだろう、だけど実際に届いた花は、情報を仕入れていた私ですら驚くほどに、精巧に作られた代物だった。私はそんな素直な華絵ちゃんの言葉が嬉しかった。
 楽しんでくれる華絵ちゃんを見るのが嬉しくて、次も、その次も、華絵ちゃんが来るたびに、私は新しい造花を増やしていった。私が造花の趣味を始めて一年が経つ頃には、部屋中が造花で埋め尽くされていた。

「何だか、花のお城みたい」

 面白げに、華絵ちゃんがそんな風に言ったのは、丁度そんな時だった。私も今の状態には満足していた。

「そういえば、どうして瑞樹ちゃんは造花をやろうって思ったの?」

 その時に、私は華絵ちゃんに造花を始めた動機を聞かれた。もちろん、造花に魅力を感じたからなのは言うまでもない。
 造花の魅力は、何時まで経っても花が散らない所だ。私が始めて買った、華絵ちゃんが褒めてくれた最初の花は、城の一部となって今でも咲き誇っている。確かに香りは楽しめないかもしれないけど、こうやって見て楽しむ分には、生きた花にも劣らないし、何より醜い姿を見なくて済む。
 私は華絵ちゃんにそう説明した。そんな私の理由に華絵ちゃんは笑って、いかにも瑞樹ちゃんらしいって言ってくれた。華絵ちゃんは私がネガティブ思考なのを知っていたし、それを話の種に出来る程度の付き合いでもあった。そんなやり取りで劣化するような仲ではないのだ。
 華絵ちゃんも始めてみる? 私はこの時になって初めて、この趣味を彼女に薦めてみた。彼女はいつも通り、優しく微笑んだ後に、私はいいよ。と答えた。

「やっぱり私は生きている花の方が好きみたいだから」

 はっきりと、そう答えた後に、

「私がここに来た一番の理由って、造花を楽しそうに見ている瑞樹ちゃんを見るのが好きだったからだし」

 と、続けてくれた。当時から彼女は、完璧な回答をしてくれた。そう、私にとって一番の花は、決して劣化のしない、華絵ちゃんという存在だったのだ。美しいものを一つ、それは華絵ちゃんだ。

 私たちが進学を考える内に、必然と別れが始まろうとしていた。地元の大学を受けるつもりだった私と、都会の大学に行くつもりの華絵ちゃん。彼女の学業の成績を考えれば予想のつく別れだった。
 そんな決断に、互いが難色を示したのはよく覚えている。私は華絵ちゃんに、一緒の大学を受けて欲しかったし、華絵ちゃんも私に東京に来て欲しかったみたいだった。結局、お互いがそんな主張したのがバカらしくなって、苦笑いしながら互いの進路を歩もうと決めたのだった。
 離れていても友達だからね。私たちは親友だから。そんな作り話めいた言葉も、作り物が好きな私と、どんな言葉も真実に変えてしまう華絵ちゃんの二人なら、相応しい言葉に思えた。
 私たちはそうして、それぞれの道を歩み始めた。


 大学が始まって最初の二年は、私たちは上手くいっていた。毎週二回は電話でお話をしていたし、長期的な休みになれば、華絵ちゃんは実家に帰ってきた。その時は、昔のように彼女の言う花のお城に二人で過ごした。大学での話を楽しそうにする彼女は、昔の輝きを失わないままでいてくれた。予想通り、華絵ちゃんは都会に行っても、華絵ちゃんのままだったのだ。
 一方で私も順当に影として過ごしていた。対照となる光が居なくなったから、私の居場所はいつも隅に追いやられていたけれど、休みになれば、電話を掛ければ、私は華絵ちゃんにとっての影でいられた。それだけで私には充分だったのだ。

「瑞樹ちゃんも友達を見つけないとね」

 私の事を軽く話すと、華絵ちゃんはそんな風に言った。彼女なりの心配だろう。私はその言葉に笑顔を返した。本当のことを言えば、私は彼女の言葉に満足して、余計に他は要らないと思ってしまったのだけど。



「花のお城はまだまだ膨れてるのかな?」

 これは、電話で交わした言葉だった。中学から始めた趣味は、今も継続している。大学に入ってからも順調に増え続けていた。最近は、アレンジしてネックレスなんかのアクセサリーを作ったりして、華絵ちゃんに届けたりもしている。

「まだまだ増えていくんだね」

 少し気圧されるように、それでも笑っていると分かる声で華絵ちゃんはそう言った。


 大学の三年になってからは、私たちは中々会話する機会に恵まれなくなった。理系の学部に進んだ華絵ちゃんは勉強に忙殺され、電話する暇もほとんど無くなってしまったようだった。夏休みも、課題と夏季の講習があって、実家に戻れないと、電話で泣きついてきた。その時の電話は忙しさの愚痴に終始した。疲れてるのかな、なんてその頃は思っていた。事実、具体的な授業スケジュールを聞いてみれば頷けるものだったから。
 四年生になっても状況は変わらなかった。文型の私はまだ余裕があったが、華絵ちゃんの方はそうもいかない。研究が始まってしまえば休む暇すら与えられなくなってしまう。運悪く彼女は、最もキツイと言われる教授の研究を選んでしまったらしい。いつしか、電話は、まれに掛かってくる程度になって、こっちからはほとんど捕らえられなくなった。私の居場所は、研究室の隅っこだけになってしまった。


 私はそのまま就職をした。小さい会社の事務員になった。地元を離れるつもりだったので、いっその事東京に行ってしまおうと考えたら見付かった就職先だった。
 もちろん、私の光が、そばに居て欲しかったからだった。離れていても友達、なんて言葉は大学最後の二年間で無理があると思ってしまったからだ。光の傍に居ることが実感できない日々は、もうたくさんだった。
 実家から引っ越すときに、私は造花も一緒に持ってくることにした。それほど良いアパートに引っ越した訳ではなかったけど、実家の一人部屋に比べればスペースは増える。私は新しい部屋をどう飾り付けるか賢明になって考えた。華絵ちゃんが私の部屋に来たのは、私が飾り付けを終えた次の日だった。

「まだやってるのね、造花なんて」

 部屋に入っての第一声に、私はまず驚いた。今まで、そんな口調の彼女を見たことが無かったからだ。恐る恐るその目を覗う。何かに疲れたような、光を宿さない目。

「瑞樹ちゃんは事務員に就職だって? 羨ましいなぁ」

 演技めいた可愛らしい口調。その裏に潜む何かを感じられずにはいられない。恐る恐る私は、彼女の状況を尋ねてみた。

「私はね、しばらく自由の身になっちゃったの。バカみたい。研究に気を取られちゃって、就活もままならないなんて」

 猛禽類を思われる目が、私を射抜いていく。そう、狙われているのは私に違いなかった。

「東京来るのって始めてよね? 気をつけた方がいいわよ。女の人は皆輝いてるし、男はハイエナみたいに目を光らせてるし」

 愉快そうに喉を鳴らして笑う。それが皮肉を込めた笑いだというのは、私でも理解できた。

「みんなの光に当てられちゃって、私、なんだか疲れちゃった」

 私の知らない人が、私の前に居た。
 大学四年の内に何があったのか、私には分からない。確かなのは、私にとっての、美しいものが、劣化してしまったことだった。
 私は気付いていた。造花だって本当は永遠に存在し続けるわけじゃない。日に当てられれば色がくすむ。ましてや、なま物ならば、言うまでも無い。華絵ちゃんは、劣化してしまったのだ。都会に、社会に、他人に、削り取られて。
 私の中に憎悪が沸いてくる。止めなければいけない。これ以上の劣化を。でなければ、私の一番美しいものが無くなってしまう。


 そして時間は今にさかのぼる。丁度、私の決意から半月が経とうとしていた。一仕事をやり遂げた私は、充実感に包まれていた。
 今日の朝、新しい造花が私の元に届いてきた。それを、予め決めておいた場所に置いて、私は部屋に立ち尽くした。
 私の造花のお城は完成した。完璧な装飾、完璧な配置、これ以上のものは、今後作ることは出来ないだろう。
 日に当たって劣化するのが嫌だった私は、暗幕を買って、部屋に取り付けていた。その暗幕の上を、縦横無尽に花が駆け巡っていく。
 このこの部屋に置いて恐れることは、陽光以外には存在しない。窓は暗幕を重ね、入り口のドアにあるすりガラスには、板を嵌めこんである。それでも何があるか分からない。電気の光だって影響が無いわけではないだろう。
 だから私は、一番綺麗な花は押入れにしまってある。これなら、誰かが不用意に入ってきても、日に当たることは無い。日に当たらず永遠に劣化することの無い花。私にとっての、一番の花。
 ただ最近、少しだけ気になることがあった。押入れの中から、不思議な臭いがしてくるのだ。更に言うと、部屋に虫がよく入ってくるようになった。
 しかし、そんなことは気にしなくてもよい。何せ、私の城はこのまま崩壊せずに残るのだから。私はこの場所で、自分は死ぬと、心に決めていた。きっと私が召される時、私のお花たちが、私を至上の幸福に包んでくれるに違いない。